Columnデザインしよっ!

2024.07.09

唐草模様に吸い込まれる

これは唐草模様の素材画像。
美しいラインなのでしばし眺めていました。
素晴らしい手仕事ですよね。

唐草模様についてちょいとググってみますと、その歴史はものすごくさかのぼることが出来るようです。WIkipediaによりますと奈良時代がどうのこうのと。。。

日本では、奈良時代に渡来した様式から、次第に和様式となった物が好まれるようになり、有職文様に用いられた。中世を境に、キリ、フジ、松竹梅など身近な種類の植物に変化し、染織、織物、蒔絵などに用いられた。名物裂(めいぶつぎれ)にも、金蘭唐草文などの例が認められる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
唐草模様
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%8D%89%E6%A8%A1%E6%A7%98

こういう話を見ると、やはり「美」にはある程度の普遍性があって、千年、2千年と揺るがない何かしらがあるのだろうと妄想してしまう。ギリシア時代の文様もまた同じ種類の美しさを持っていたりすると思えてしまう。

上記のウィキペディアに載っていたギリシア時代の陶器の、この取っ手の曲線もまた美しい。

どこまでさかのぼれるかというと、このラスコーの壁画もまた美しい。
この牛の角など、とても美しい。

こちらもウィキペディアに載っていたものです。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラスコー洞窟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E6%B4%9E%E7%AA%9

2万年前にクロマニョン人によって描かれたそうです。
種をどう定義するか詳しいことはわかりませんが、少なくともホモサピエンスとクロマニヨン人は共通する美意識を持っていたようです。そしてそれを表現したい欲求も。

そこに人が関与していたと確信できるからか、余白にある余韻とでもいうものか、追憶、残り香、なんでしょう、何かしらの共感の一種が働く余地があって、それをも設計していたわけではないでしょうけど、でも、そこも含めて手仕事と思いたい。

だから僕は、あまり古いものを持ちたいとは思わない。
だって、これは僕の感想ですけど、だって、道具として、再生しきれないと思うから。違う文化、違う常識の中では、その部分を再生しきれないと思うから。博物館のケースの中に飾られたものと同じ印象を受けてしまう。

今作る、今使うデザインは、現在進行形でないといけないと思う。
「和風」という言葉を、甘んじて受け入れないといけないんだと思う。

僕はたちは日本文化の継承者でありながら、伝統的なものを「風味」にしてしまった。
筆文字は「和風」という、ひとつの味付けになってしまった。
どこかで文化としての断絶があって・・・明治以降明確にそれを100年かけて実行してきた結果であって、お寺や神社が街並みにおいて異質なものになった今、建築やファッション、グラフィック、プロダクトなど、デザイン表現としての日本の伝統的なものはすべて「風」になってしまった。

でも、クロマニヨン人の時代からそういうことを繰り返して、それでもなお共通認識がちゃんと残るんだから、それもまた受け入れていっていいことなんだろうね。
その先にまた新たデザインを打ち立てていけばいいんだろう。

スマホの先が地球の裏までつながっている今さらなんですよ。

僕はもうデジタルでしか仕事をしない人なのだけど、デジタルなりのやり方で、この曲線の美しさを楽しもうと思う。